より新しい近況報告は、上の方に来るようにしてありますので、最初だけを読んでいただいても結構です。
私が、やっと手に入れたデジタルカメラの性能は非常に良く、本当に美しい写真が撮れていますが、なにぶんにも、ウェブサイトのメモリが限られているので、オリジナルの美しい高解像度写真ではなく、GIFかJPGによる低解像度写真になっています。友人の方々で、オリジナルをご希望の方は、電子メールでご連絡下さい。オリジナルをお送りします。ただし、データ量は非常に大きくなります。
1999年12月28日
ケイの弟のサンドバーグ一家(ロジャー、グウェン、ザック、ベン)大型バンでパロアルトを出発
サンタ・アナの家の前で(加史撮影)
恵美加撮影
サンタクルズの南のソーカル高校であった拓史のバスケットボール試合の後
1999年12月27日
ケイの弟のサンドバーグ一家(ロジャー、グウェン、ザック、ベン)南カリフォルニアからパロアルトを訪問
グウェンとベンと祐樹(スタンフォード・ショッピング・センター内のフレッシュチョイスにて)
ロジャーとザックと拓史
1999年12月20日
センティアス社のクリスマス・パーティー(サン・カーロスのヒラー航空博物館にて)
航空博物館
パーティー
ジャズ・バンドの生演奏
ブックマン社長の挨拶
酒樽の鏡開き
航空博物館展示物
写真 1,
写真 2,
写真 3,
写真 4,
写真 5,
写真 6,
写真 7,
写真 8
1999年12月18日 パロアルト児童劇団クリスマス公演「シンデレラ」の公演前後の様子を写真アルバムにしました。7枚入っています。ダウンロードにちょっと時間がかかるかも知れません。
1999年12月4日
パロアルトの近くのアサートンという町の清心高校(共学)で3日間にわたって開かれたバスケットボールのトーナメントで、拓史が主将を務めるパロアルト高校が決勝まで進み、決勝戦は地元の清心高校に負けてしまいましたが、拓史はオール・トーナメント(オールスター)・チームに選ばれました。
1999年11月 アメリカへ渡ってから初めて、仕事からも家族からも離れて日本へ行って来ました。近畿よりも西には岡山県の備前へ備前焼の窯元を訪ねていったという経験だけしかなく、西日本や南日本を旅したいと思っていたのが、ちょっとだけ希望がかなえられて、福岡県と山口県を旅して来ました。これを機会に、日本の全都道府県を踏破する夢を持ちました。アメリカの全州も廻りたいものです。
今回の旅行記は長くなったため、行った先をリンクにして並べました。読みたい(写真を見たい)地名をクリックして、それぞれのページを読んで下さい。
九州:福岡、太宰府
山口:山口、萩、俵山、油谷、土井ヶ浜
成田:成田
1999年10月
10月最後の日はハロウィーンです。この日は、日没の頃から、トリック・オア・トリートといって、特に仮装した子供達が家々を廻って、キャンディなどをねだって歩きます。死者や化け物が墓やあの世から戻ってくるという言い伝えがあり、映画館も毎年この時期に恐怖映画を封切ります。幼稚園や小学校などでは仮装行列をし、会社でも仮装コンテストを開くところもあります。そのため、この日は朝から仮装した人が車を運転しているのを見ることもあります。熱心な人達は、家(写真)をお化けや人喰い蜘蛛(写真)や絞首刑にされた人形(写真)などで飾って雰囲気を高めます。
私ができるだけ毎年見物にでかけるのは、スタンフォード大学の美術学部教授の家です。その家の玄関前には、この日、美術学科の生徒によるパンプキン製ジャッコ・ランタンが展示されます。ほとんどすべてがオリジネリティと芸術性を感じられる素晴しい出来映えです。幾つかの写真を紹介します。その内の一つは、小さな金魚鉢に黒い金魚を入れたのを目玉として使って黒目が動くように見せていました。どれか分かりますか?(写真1、写真2、写真3、写真4)
1999年10月
長男拓史、生徒の投票でパロアルト高校のホームカミングキングに選ばれる。
1999年9月
いつもは9月初めのレイバーデイの休日が終わってから学校の新年度が始まるのが、私が住むパロアルト市の学校は今年は(から?)5日ほど早く始まりました。それでも連休のレイバーデイに、子供達と一緒に、カリフォルニア州の州都であるサクラメント市にほど近いデイビスという大学町に住むステイシー(ケイの妹)・マーチンの家庭を訪問しました。子供達は学校のこともあり一足先に帰り、私だけが月曜日までお世話になりました。
日曜日には、9歳の男の子のジェレッド(写真)とステイシー(写真)と一緒にテニスを楽しみました。二人とも思った以上に上手でした。月曜日の朝は、週末恒例のようになった、ユダヤ人のドーナツ型パンのベイゲルとコーヒーを有名なスターバック・コーヒーのチェイン店でご主人のダンと一緒に4人でいただきました。(ダンとジェレッドの写真とステイシーとジェレッドの写真)
1999年8月
7月の終わりから8月の初めにかけて、東京と長野市で仕事関連の国際会議(世界応用言語学学会)とコンピュータ・ショーがあり、私が働いているセンティアス社の RichLink という製品のデモのため、久しぶりに日本へ出張しました。
仕事のおつきあいをしていただいている方々が仕事の合間に、隅田川の花火大会に連れて行ってくださり、その上、有名な駒形のどぜうに招待していただきました。昔、西新宿にあった大衆割烹の「久寿の喜(くすのき)」で、柳川鍋用のどじょう割きを担当したこともある私ですが、駒形のどぜうは初めての体験で、やはり初めての隅田川の花火大会を浅草雷門前から見物できたのも感激しました。招待していただいた方々から写真掲載の許可がとれていないため、花火と私(写真)とどぜう鍋(写真)のみをお見せします。
幸運だったのは、30年来の友人である、三上さんご夫婦(写真)と桜井さん(写真)と一緒に夕食と会話を楽しむ時間を持つことができたことです。また、札幌市の琴似小学校の時の同級生の旧姓佐藤美枝さんに40年ぶりにあうことができました。これも、インターネットと「ゆびとま」のお陰でした。
仕事のお陰で、生まれて初めて長野市を訪ねることができました。牛に引かれた訳ではなかったのですが、善光寺(写真)参りをし、老舗の旅館だったことのある大正らしい雰囲気のある高級(?)洋食屋で夕食(写真)を楽しみました。これは長野市に詳しい友人に教えていただいた賜物でした。偶然にも、長野市一番の夏祭の踊り行列(写真)も見ることができました。
帰って来る当日の朝、フランスから来日中のリリアン・フジモリさん家族に両国駅前の陸奥部屋で会い、中を見せていただきました。土俵が清められており、壁には力士の名札や大関霧島時代の写真が飾られていました。昼食はちゃんこ料理店「霧島」でごちそうになりました。
1999年7月4日
7月4日は、毎年アメリカの独立記念日になっており、近所の人達とバーベキュー・パーティーをしたり、恒例の花火大会を夕方から見に行ったりします。
今年は、私達が住んでいるパロアルトのスタンフォード・スタジアムで、女子サッカーのワールドカップの準決勝の試合があり、アメリカとブラジルという好カードだったので、拓史を連れて見に行きました。最大8万8千人収容のところ、予想以上の7万3千人以上の観客が入って、応援にも力が入りました。
試合は、私達の応援の力を得た(?)アメリカが、前半開始直後のコーナーキックをキーパーがはじいたボールをアメリカ選手がヘディングシュートを決めた得点と、後半終了前10分のブラジル選手のペナルティによるフリーキックで、アメリカが2対0の完封の良い試合でした。
1999年7月3日
ケイのところでは、現在、ケイのイタリアの友人の16歳になるカテリナという娘さんが、スタンフォード大学の夏期英語講座を受けるために滞在しています。
この日は、そのカテリナと、拓史の古くからの友人のジョナと、恵美加とケイと一緒に、サンフランシスコへ行き、ケイの妹のステイシーとその家族のダンとジェレッドとおち合って、サンフランシスコの新名所、ソニーとマイクロソフトが共同で経営するメトレオンというハイテックな遊園地(?)に行って来ました。
その前に、まず、やはり、サンフランシスコ第一の名所である金門橋(ゴールデンゲートブリッジ)を渡り、マリン・カウンティの方にある展望台から見るサンフランシスコの景観を楽しみました。天気は快晴でしたが、風がものすごく強く、ちょっと涼しい気候でした。サンフランシスコ港では、現在、金発見以来150周年を祝って、いろいろな催しが行われていますが、日本からも大きな帆船が入港していて、世界中からのいろいろな帆船を含め、訪問できるようになっています。
あまりにも風が強いのと、ここへ着くまでの高速道路が予想以上に混んでいて、予定よりも時間が掛かってしまったので、サウサリトへ行く予定を変更して、ここからユーターンしてメトレオンへ行くことにしました。メトレオンは、マックワールドでも有名なモスコーニ展示場の隣に位置しています。その展示場の屋上にあたるところにある軽食喫茶で遅い昼食をとり、そこでステイシーの家族と会って、早速メトレオンへ行きました。
私の趣味から言えば、ちょっと商業主義というか、儲け主義が鼻につくという印象を受けました。ソニーのショールームとマイクロソフトのショールームがあり、関連する文房具やお土産を売る売店があったり、ソニー映画を上映する映画館があったり、ソニーのプレイステーション用ゲームで遊べるアーケードゲームセンターがあったりで、まあ「名所」でしょう。いちいち結構高い料金を取られるので、あっと言う間に財布が空になるという趣向になっています。
拓史とジョナは、拓史がアルバイトに行かなければならないので、早めに帰りましたが、残った連中は、カテリナに因んで、同じビルの中にあるイタリアン・レストランで、ピザやパスタの夕食をいただきました。ちょっと長い一日でしたが、全体的には、結構楽しい一日でした。
1999年6月27日
拓史の高校のバスケットボールの試合が終わってから、 拓史のチームメートの、アロンとニックを誘って、久しぶりにサンフランシスコ・ジャイアンツ対ロサンジェルス・ドジャーズの試合を見に、サンフランシスコのキャンドルスティック・ポイントにあるスリーコム・スタジアムへ行きました。ちょっと遅く、3イニング目に着きましたが、ほとんど席へ着いたと同時にジャイアンツ選手のホームランが出て、ジャイアンツがリードを大きくし、その大きなリードがものを言って、最終的には8対7でジャイアンツが勝ちました。帰りの混雑を避けるために、8回で8対6とリードしたところで、スタジアムを出ましたが、帰りの車の中で、ジャイアンツの勝利を祝いました。
ジャイアンツの試合を生で見たのは、10年近く前に拓史と一緒にスカイボックスの中から見て以来でした。